高橋士郎 年譜

 
アーティストとしての活動
教育者/研究者としての活動
デザイン/エンターテインメント分野での活動
 
1943

東京生まれ。弁護士の父修一と母きみ子の間に四男として生まれる

1958

父修一の他界

1959

秩父の笠取小屋に通う。付近には多摩川の源頭「水神社」がある

1960
1961

旧ソ連が人類初の有人宇宙飛行に成功

1962
1963

多摩美術大学に入学。美術学部デザイン科1回生(図案科10回生)

同人紙 詩集「郡鳥」発行。菅木志雄、幸村真佐男らとともに文芸部を設立

屠畜場で手に入れた牛の頭から、白骨標本を製造・販売。暴利を稼ぐ。

1964
1965
1966
1967

Electromagica '69

多摩美術大学 立体デザイン科卒業。同学科初の専任教員助手となる

斉藤義重や剣持勇の仕事を手伝う

1968

八王子鑓水地域民俗資料館のための資料収集に参加

学内改革(副手規定の新設)により副手に降格

コンピュータ・アートによる展覧会「サイバネティック・セレンディピティ」が開催/スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』

1969

銀座ソニービル「エレクトロマジカ展」にて立体機構シリーズ《揺れる立方体》を発表。造形作家としてデビュー

国立京都近代美術館「現代美術の動向展」に《立体機構シリーズ》を出品

最年少25歳で多摩美術大学の法人評議員に就任、同時に大学院の学生、学部の助手を兼ねる

学友会(院生)拡大教授会(助手)理事会(評議員)に出席

フランス、シェル石油のデザインコンペティションにて遊具作品《チャーリー》が受賞する

学生運動が激化。上野毛キャンパスが封鎖される。

ウッドストック・フェスティバル

1970

大阪万国博覧会 三井グループ館(チーフプロデューサー:山口勝弘)にて立体機構シリーズの巨大モニュメントを制作

大学院修了、芸術学修士となり、多摩美術大学立体デザイン科専任講師に就任

ジェムコ社設立参加(代表:坂本正治)

1971

シェル石油デザインコンペティションの賞金にて初の欧州旅行、ヨーロッパ1万キロを車で走破

立体デザイン科の恩師、剣持勇氏が死去/ドル・ショック

1972

銀座ソニービルにて個展「METACO'72 高橋士郎展」開催。空気膜造形を発表。展覧会ポスターを石岡瑛子氏が作成

1973

銀座ソニービル「第1回国際コンピューターアート展」にて空気膜造形《黒い手》を発表

多摩美術大学に新設された「文様研究所」の研究員に就任。幾何学文様研究を担当

「国際コンピューターアート展」の企画委員と制作委員を務める

1974

デザインエンジニアリング株式会社の設立

1975

電気通信科学館(館長:白根禮吉)の企画委員を務める。マイコンロボットを多数出品

イスラム美術調査旅行。アムステルダムからイスファハンまで車で走破。九死に一生を得る

ベトナム戦争終結

1976

日本デザイン学会にてイスラム数理造形の研究「ムカルナス」を発表

1977
1978

電気通信科学館「マイコン展」にて電脳制御シリーズ《踊る一本の棒》を発表

国際交流基金よりタイ王国へ長期芸術家派遣。タイ王国内のすべての美術学校を訪問

新東京国際空港(成田国際空港)が開港

1979
1980

イラン・イラク戦争はじまる

1981

神戸ポートピア博「つくば万博案内」として《ガイダンスロボット》を発表

1982
1983

株式会社ナムコの寄付金を得て、多摩美術大学の情報化に本格着手。美術大学教育にMacintoshマシンを導入

新潟博覧会にて《音声認識の象ロボット》を発表

1984

空気膜造形シリーズ「新しい空気膜ロボットの遊び」(新宿NSビル)を開催。500m²を超える空間をわずか30分で設営

1985

南アメリカ「ダーバンEXPO85」にて空気造形《Babot》を開催

多摩美術大学研究紀要第2号「空気膜造形」を掲載

1986

アメリカ、エプコット・センターの鉄鋼館キャラクターの街頭寸劇のために空気膜造形を制作

チェルノブイリ原子力発電所事故

1987

銀座月光荘ミュージアムにて「空気膜ロボット展」を開催

インテックス大阪「国際デザイン展」にて長さ50mの巨大な竜の空気膜造形を発表

1988
1989

大阪天神祭の船渡行に出品

横浜アリーナ「アンリ・コンサート」を空気膜造形で演出する

ベルリンの壁崩壊/マルタ会談、冷戦終結

1990
1991

逓信総合博物館にて「バボットランド」を開催

アメリカの劇団「デフ・シアター劇団」の大道具として空気膜造形が全米を巡回

1992

国営昭和記念公園に「空気の丘」の建造

二子玉川ナムコ・ワンダーエッグで屋外4年間の展示を実現

毛利衛氏スペースシャトルで宇宙飛行

1993

NHK 「紅白歌合戦」にて空飛ぶ空気膜造形を演出

1994

上野毛キャンパス徒歩1分の立地にバボットスタジオが完成

1995

天津市の第43回世界卓球大会オープニングイベントに出品

ピクトル・ダミコの美術教育装置の復元(財団法人日本児童手当協会との共同研究)

阪神・淡路大震災/地下鉄サリン事件

1996

秋山邦晴氏急逝により多摩美術大学教務部長に就任。八王子校舎の再開発と教育改組を実施

ジャパンエキスポ佐賀’96《バボット劇場》を出品「世界・ 焱の博覧会」にて

1997
1998

多摩美術大学に情報デザイン学科を開設。同学科の教授に就任

1999

NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]「共生するロボット展」にて《Babot》を発表

ユーロ誕生

2000

学生起業の支援のため「タマビット株式会社」を設立

2001

バーミヤン大仏の復活プロジェクトを構想

メディアセンター開設。オープン記念展「INSIGHT VISION/メディアの記憶と想像へ」展を開催。メディアセンターに巨大バボットで手足と顔を取り付ける

タリバンによるバーミヤン大仏の破壊/アメリカ同時多発テロ

2002
2003

第7代多摩美術大学学長に就任

突如ウェブサイトで「TAMA ART universe CITY構想」を発表レジデンスや放送局、出版局やミュージアムショップまで計画されたアイデアが公開され関係者が驚愕

2004
2005

多摩美術大学にて川本喜八郎監督人形アニメーション《死者の書》撮影開始。製作実行委員に就任

2006

上海インターナショナル・サイエンス&アート展に空気膜造形《Dancing Baby》を出品

多摩美術大学に芸術人類学研究所を開設

2007

北九州イノベーションギャラリー開館展「遊びイノベーション」にて空気膜造形を出品

学長退任

2008

逓信総合博物館にて「体験コミュニケーション」展の開催。キネティックアート作品《Deus Ex Machina》を発表

リーマン・ブラザーズが破綻/米大統領選でバラク・オバマ氏が当選

2009

多摩美術大学研究紀要第24号「ルーセル考 自由芸術の発明」を掲載

青山斎場での「忌野清志郎青山ロック葬」にて、《ヒトハタウサギ》の空気膜造形を設置

2010

チリ鉱山落盤事故

2011

日本大震災復興支援活動「デイリリー・アートサーカス」に参加(代表:開発好明)。福島県をはじめ被災各地を巡回

東日本大震災

2012

西安市・世界園芸博覧会園区内の創意館にて巨大バボット《右手3M》《顔3M》《左手3M》を展示

台北ビエンナーレ2012港千尋キュレーション「瓢箪美術館」に出品

2013

3331 Arts Chiyodaにて「自由芸術展〜レイモン・ルーセルの実験室〜」開催

多摩美術大学を退職/名誉教授

退官記念パーティーを開催。当日になり高橋本人と連絡が取れなくなり、本人不在のままパーティーが終了

高橋本人曰く「幽体離脱してタイのチェンセンにいる」

2014
2015

韓国「セウォル号」沈没事故

2016

ケ・ブランリ美術館「PERSONA - ENTRANGEMENT HUMAIN」展に《ダントンの首》《タコ》を出品

あいちトリエンナーレ2016「虹のキャラバンサライ」にて《レイモン・ルーセルの実験室》を展示

2017

川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎とメディアアート 山口勝弘―受け継がれるもの」に《立体機構シリーズ》《パイラ人―岡本太郎に捧げるバボット》を出品

退職後も八王子キャンパス、上野毛キャンパスに出没

2018
2019
2020

川崎市岡本太郎美術館にて「高橋士郎 古事記展 神話芸術テクノロジー」開催

「古事記展」展覧会の設置から撤去まで、一度も美術館に現れず/自身のウェブサイトで独自に作成した「多摩美術90年の歩み」を発表

新型コロナウイルス大流行

2021

2021年7月18日に77歳で逝去

東京2020オリンピック開催

2022

ロシア軍によるウクライナ侵攻

2023

多摩美術大学 アートテークギャラリーにて「高橋士郎 自由の気膜」展 開催